今を遡ること12年前の2003年10月18日~10月27日の10日間、アメリカ合衆国のシアトルとシカゴに行ってきましたが、2014年10月のHPリニューアルを契機に、もう一度、このレポートをリテイクしてお届けしたいと思います。
私が、シアトルに行きたいと思った目的ですが、当時20%近い「救命率」を誇っていたアメリカ合衆国。中でもシアトルは、全米で最も高い30%以上の救命率を誇る「世界一の救命都市」と呼ばれていました。
また、シカゴは2003年当時、AED(自動体外式除細動器)の設置台数が全米で最も多いと言われていましたが、当時の日本では、まだ「AED」という言葉も広く知られてはおらず、バイスタンダー(倒れた人の傍にいる人)CPRなどの応急手当実施率も、今よりはずっと低いものでした。
どうしたら日本でもシアトルやシカゴのようになれるだろうか・・・
そのためには、実際にこの2つの都市を自分の目と耳と体で感じたいと思ったからです。当時の私は、豪州への新婚旅行に行った以来、2度目の海外旅行で、おまけに当時は大の飛行機嫌いだった私が、単身で渡米することを決意するには大きな不安もありましたが「どうしてもこの目で見てみたい」という強い願いには勝てず「こうなりゃ出たとこ勝負で行ってみよう!」と開き直りました。(笑)
成田空港から決死の覚悟(笑)で飛行機に乗り込み、8時間のフライトを経てシアトルに到着した時には本当にホッとしましたが、実際にこの目で見た生の「アメリカ救急救命」はやっぱり行ってみるだけの価値のあるもので、まさに「百聞は一見に如かず」でした。
これから、シリーズで「HIGEさんのスポーツ救命救急・リテイク版アメリカ救急見聞録」と題しまして、10日間に及んだシアトルとシカゴの見聞録と体験レポートを当時を思い出しながら、10年が過ぎた現在との変化や比較なども交えながら、リテイクしていきたいと思います。UPは不定期となるかもしれませんが、興味のある方はどうぞお付き合いの程、よろしくお願いいたします。(HIGE)
Vol.10
IN SEATTLE FIRE DEPARTMENT(最終回)
「MEDIC―ONE・No28」が28消防署に引きあげた時,私の「MEDIC―ONE同乗研修」もいよいよ終了の時間になってしまいました。
本当は明朝まで、ず~っと乗っていたかったのですが、それは「わがまま」というもの。当初は予定もしていなかった「MEDIC―ONE」に同乗させて頂けたことを素直に感謝しました。
同乗研修中は、わずか2件の出動でしたが、何十件分の密度があり、たくさんの事を学ぶことができました。「ミスターHIGE、今度来た時は28消防署でディナーをごちそうするよ!だからまた来て下さいね。次はご家族もご一緒にね!」と言ってくれたシアトル第28消防署員のみなさんと固い握手をして28消防署を後にしました。
28消防署から「ハーバービュー・メディカル・センター」までは、ランディさんとジェイソンさんが「MEDIC―ONE・No28」で送ってくれました。 最初は救急車で送ってくれることを固辞して「タクシーで帰るから」と言ったのですが、ランディさんから「ミスターHIGE、水くさいことは言うなよ。俺たちは仲間だろう。それにわざわざ遠いJAPANから来たゲストをタクシーで帰すなんてできる訳ないだろう。」と言われてしまい、お言葉に甘えることにしましたが、「ありがたさ」と「感動」で、胸が一杯になってしまいました。
皆さんに見送られ「MEDIC―ONE・No28」はシアトル第28消防署を出発しました。段々と遠ざかる第28消防署を見つめながら、私は心の中でつぶやいていました「みんな、絶対また来るから、きっとまた会いましょう!」と。
やがて「MEDIC―ONE・No28」は、「ハーバービュー・メディカル・センター」に到着してしまいました。お世話になった「ランディさん」「ジェイソンさん」のお二人とも,いよいよお別れの時が来てしまいした。
たった数時間一緒にいただけなんですが、なんだか自分の隊を離れるみたいな感じがしてしまい涙が出そうになりました。
ランディさんとジェイソンさんから「ミスターHIGE、是非また会いましょう。それまでお元気で。日本とアメリカでお互いに頑張りましょう!」と暖かいお言葉を頂き、固い握手を交わしてお二人とお別れしました。
今日もきっとあの独特のサイレン音を響かせて「MEDIC―ONE・No28」はシアトルの街を走っていることでしょう、一人でも多くの人の「生命」を救い守るために・・・
シアトルに来てから,いろんな人と出会いました。
「MEDIC―ONEのシルベスター・スタローン」ことゴードンさん。
ご丁寧にいろいろなことを教えて下さり、ありがとうございました。
「MEDIC―2・救命都市シアトルの母」
バーバラさん。
シアトルが今日に至るまでの苦難の歴史や「当たり前」にすることの大切さなど、とってもいいお話をたくさん聞かせてくれて本当にありがとうございました・・・
「MEDIC―ONE」で一緒に出動したランディさん、ジェイソンさん、そして暖かく迎えてくれた「第28消防署」のみなさん、ありがとうございました。
日本とアメリカ、生まれ育った国は違えど、私を同じ「消防と救急の仲間」だと認めてくれ、暖かく迎えてくれたみなさん本当にありがとうございました。みなさんから学んだ事は必ず役立てていきたいと思います。それが皆さんへのお礼だと思いますから・・・
そして、紹介が最後になってしまいましたが、シアトルに滞在中、私の「通訳」として一緒に行動してくれたスティーブさんともお別れの時が来てしまいました。
スティーブさんは、写真のとおり2メートルを超える長身(ちなみに私もいちおう171cmだから私が小さいのではありません:笑)で、中学まで名古屋で過ごされたそうです。ですから日本語はもうペラペラでした。
ご本職は「牧師さん」をしていらっしゃるそうですが、日本語通訳ができる方はシアトルではまだまだ少ないそうで、シアトルで開催される各種の国際会議での日本語同時通訳など、各方面でご活躍なさっているそうです。
今回の研修では、特に「MEDIC―ONE」同乗の際にすごく助かりました。 時間的に余裕のない救急現場における「パラメディックと患者さんのやりとり」や私からの質問、出動する際の指令センターからの無線内容などをその場で素早く「同時通訳」して頂き、本当に助かりました。
特に、今回の視察では「救急用語」や「医療関連用語」がとても多く登場するのですが、日本から医療関連の視察に来る医師達の通訳もなさっているスティーブさんは、そういった用語も完璧にご理解なさっていたので、コミュニケーションは完璧でした。本当に最高の通訳さんで、スティーブさん無しでは、きっと今回の視察での成果はあり得なかったと本当に感謝しています。
ホテルの入り口でスティーブさんとお別れする際「ミスターHIGE、シアトル市とシアトルの救急隊はいかがでしたか?」とスティーブさんに聞かれました。
私は「もう最高でした!シアトルに来て本当に良かったです。もちろん通訳さんも。もしも、また私がシアトルに来た時には、また通訳をお願いできますか?」と私が言うと、スティーブさんは「もちろん」と握手をしてくれました。スティーブさん、本当にありがとうございました。
今回のシリーズでみなさんにご紹介した「シアトル市の救急システム」は、渡米前に私が調査していた以上のものであり、まさに「百聞は一見に如かず」でした。 しかし、だからといって、決して「私達にはとてもマネできない」というものでもありませんでした。確かに、今すぐ日本の救急隊をアメリカのパラメディックのように医師の指示無しに事前のプロトコール(約束事)だけで、薬剤を使用したりするようにはできません
それは本編「Vol・3」でもご紹介したとおり、このシアトル市でさえ、最初は救急車に医師が同乗することからスタートしています。それが「遠隔指示(メディカル・コントロール)」に変わり、さらに数年かかった末に現在のパラメディック制度になっていったのです。だから,やっぱり多少の時間は必要なのかも知れません。
(2015年現在、日本の救急救命士にもアドレナリンの投与や低血糖時のブドウ糖投与が認められました。)
でも、「今日からでもすぐにできること。」もたくさんありました。
小学校・中学校での「BLS教育」の実施や「ファースト・レスポンダー・システム」の導入は、消防機関や関係するお役所の決断さえあれば明日からでもすぐにできることです。
シアトルが「ゼロ」からスタートしたのに比べれば、私達には「シアトル」という素晴らしいお手本があるのですから、きっとできると思います。
(2015年現在、一部の地方では小中学校でのBLS教育が導入されています。)
日本はすでに「少子高齢化時代」に突入しています。
明日の日本を担う子供たち、若者たちに「安心して暮らせる日本」を残してあげるのが私たち「大人」の責任なのではないかと思ってやみません。
とかく「こんな世の中だから仕方ない」とか「社会がこうだから」という声を聞きますが、「人がこうだから俺は○○ができない。」とか「世の中がこんな風だから私は○○することができない。」ということは、結局は自分に都合のいい責任転嫁であり「人任せ主義」でしかありません。それでは、いつまでたっても「自分で何かをする」ということはできないんじゃないかと強く感じました。
一番大切な事は、「世の中」がどうであれ、「人」がどうであれ、まず「自分がどうするべきか」ということではないかと思いますし、私はこれからもそうしていきたいと思います。
そして「私はこうするべきだ」と思う人がたくさん集まり、「私」という個々から「私達はこうするべきだ。」という「大きな集まり」になった時、シアトルへ繋がる道が見えてくるのではないかと私は思っています。
偉そうなことを言ってしまいましたが、実際にシアトルに行き、いろんな人と会い、お話しをしてみて、そう思いましたし「シアトルに来て本当に良かった。」と心から思いました。
また、機会があれば是非シアトルに行きたいと思います。
シアトルでは,やり残した事や知りたい事もまだまだたくさんありますし、何よりも「素晴らしい仲間」と「素晴らしい友人」たちとの約束もありますから。
こうして、たくさんの人達に支えられた私の「シアトル市救急研修」は無事に終了しました。 お世話になった皆さんに心から感謝します。本当にありがとうございました。
「Thank You Seattle See You Again!」(シアトル編:完)
さていよいよ次回からは、シアトルからシカゴへと舞台を移します・・・が・・・シカゴでとんでもないことが私を待っていたのです。(「Vol・ 11・シカゴ編」のスタートを乞うご期待下さい!HIGE)
←シアトルで活躍している民間救急(AMR)(撮影 HIGE)
シアトル第28消防署では、署員の方々から暖かい歓迎を受け、ランチタイムを御一緒させて頂きましたが,食後の「お昼休み」に署員の方から「テレビゲーム」の誘いを受けました。 署員の方に連れられて地下に降りると、そこには60インチはあろうかという巨大なテレビと大きなソファーがありました。(私の勤務している消防署の署長室より豪華でした)
さて。いよいよ「日米テレビ・ゲーム対決」の開始・・・と思ったその時、「ピーピー」という音がスピーカーから流れてきました。
その指令を聞いた署員の方が「Hey Mr HIGE! Let`s Go!」と階段を指差しました。 そうです、またもや「MEDIC―ONE・No28」への出動指令が出たのです。
というわけで,「日米テレビ・ゲーム対決」は,あえなくお流れとなり、私は階段を駆け上がり「MEDIC―ONE」のある車庫に向かいました。
今回は,第28消防署管内の出動で、28消防隊と一緒の出動ですが「MEDIC―ONE・No28」は地下から走ってくる私を待っていてくれたため、消防隊は一足先に出動していました。
「すいませ~ん!」と私が「MEDIC―ONE」に乗り込むやいなや「ピューンピューンピューン」というサイレン音とともに「MEDIC―ONE」は走り出しました。
ディスパッチ・センターからの無線情報によると「患者は40歳くらいの男性で呼吸困難となった模様」とのことでした。
約3分で現場に着きましたが、先発していた「28消防隊」は、すでに現場に到着していました。
ランディさん達と一緒に患者の家に入ると、さっきまで28消防署の食堂で「日米ランチ談議」に盛り上がって、おちゃらけていたあの顔はどこへやら。 みんな「Fire・fighter」の顔になり、きびきびと活動していました。
すると、消防隊の隊員一名がランディさんに近づき何やら話し始めました。
その話しを聞き終えると、ランディさんが私を呼びました。「ミスターHIGE,これは私達の出番じゃないから引きあげるよ。」とのこと。私は「???」と思いつつもランディさん達と患者の家を出ました。
私が「ミスター・ランディ?どうしてMEDIC―ONEの出番じゃないんですか?」と聞くとランディさんから次のような説明がありました。
「ミスターHIGE。あの患者は精神疾患があって,その精神的な疾患が原因で息苦しさを訴えただけだ。呼吸困難っていうのは嘘さ。先に着いた28消防隊員の所見では、緊急性は全く無いとのことだから,私達の出番では無いので引き上げるんだ。」とのことでした。
「えっ!では,あの患者さんはどうするのですか?」とランディさんに尋ねると、「患者が医療機関での受診を希望するならば、消防隊が民間救急機関を要請するから心配ないよ。」との事でした。
帰りの「MEDIC―ONE」の車中で、もう一度ランディさんから説明がありましたが、つまり、ランディさんの話しはこういう事です。
「MEDIC―ONE」は、緊急性の高い疾患や外傷を負った市民のための救急車であり、こういった緊急性の低い患者は原則的に対象とはしていないとのこと。
市内に7隊しかない「MEDIC―ONE」は有効かつ適性に活用されなければならないとのことでした。
911(日本でいう119番)が入電したため出動はするけど、今回のように緊急度が低いと判断された場合には、以後を消防隊に任せ,速やかに次の出動に備えるとのことでした。
残った消防隊は、緊急性が低い旨を患者に説明、民間救急機関による搬送を希望するかを患者に確認して、もし患者が民間救急機関による医療機関への搬送を希望した場合には、消防隊から民間救急隊を要請、民間救急機関に患者を引き継いだ後に現場を引きあげるとのことでした。
こうした民間救急機関は全米にあり、シアトルでは「American Medical Responce(アメリカン・メディカル・レスポンス)」(通称AMR)が民間救急業務を実施しているとのことでした。
民間ですから,もちろん有料です。気になる料金は,400$(約40,000円)とのことで、かなりお高いですが,保険加入者は保険適用となるそうです。
ランディさんのお話を聞いて,「さすがアメリカだなあ」と感心しました。 日本では,なんでもかんでもみんな公的な救急車ですからね。
もちろん救急は自治体が行う「行政サービス」であるわけですから、呼んではいけないなんてことは無いのですが、正直言って「わざわざ救急車を呼ばなくても・・・」っていうのも結構多いんですよね。 ひどいのになると「虫歯が痛い」とか「病院から外泊許可を取って自宅に帰ってきた。今日これから帰ろうと思ったが雨なので呼んだ。」なんていうのもあったり・・・そういう時はもうトホホ状態なんですが、笑顔で仕事はしなきゃいけないんですよね。全国的な統計でも、本当に救急車を必要とする出動は全体の半分くらいであり、残りの半分は緊急性の低いものだそうです。
(2015年現在もこの傾向は変わっておらず、喫緊の課題として国を挙げて取り組んでいます。)
それから、日本では「病院間転院搬送」というのがあります。病院から病院に移る時は、ほとんどの場合で救急車が利用されます。もちろん医師も同乗し、看護や処置が必要な重篤な患者さんの転院には必要だとは思いますが、最近は医師も看護婦も同乗せず全く安定した患者さんだけの転院搬送も非常に増加しています。 近い病院ならまだしも、市外とか県外なんてのもあるんですよね。
そうなると、その救急車は転院搬送に出動中の2時間~4時間もの間、その地域を空けてしまうことになります。もしも、その時に消防署の近くで「心肺停止」になるような救急事故があっても、その救急車は行くことができずに遠くの救急隊が出動するしかないんです。
一刻を争う場合なのに救急車がいない・・・・こうなると、もう「不運」としか言えないです・・・ もちろん,シアトルの「MEDIC―ONE」には、「病院間転院搬送」なんて業務はありません。そういった業務は全て「AMR」がやっています。
民間救急機関とは言っても、乗務している隊員は、きちんとした訓練を受けた隊員であり、装備も公的機関の救急隊と全く遜色ありません。 有料ですからサービスもなかなか良いらしく、患者さんの細かい要望にもきちんと応えてくれるそうで、シアトル市民からの信頼も厚いそうです。
こうした「民間救急機関」も、市民にきちんと認識されているからこそ市民の側も「MEDIC―ONE」の利用方法について十分に認識して「シアトル市民の生命を守るためのMEDIC―ONEである」ってことをみんなが理解しているんですね。
昨日の研修の際にゴードンさんから「MEDIC―ONEは市内に7隊」と聞いた時は、「えっ?7隊だけで市内をカバーできるの?」って正直思っていましたが、こうして「民間救急機関」のサポートを受けて運用されていることを聞いて「なるほど、そうだったんだ」と納得しました。
また、今回のような緊急度の低い患者さんからの救急要請時でも、消防隊が活動し必要のない「MEDIC―ONE」を現場から反転させたり、「AMR」を手配して引き継ぐなど、しっかりと「MEDIC―ONE」をサポートしており、こういう面でも「ファースト・レスポンダー・システム」は有効に機能しているんだって感心しました。
そして、アメリカでは「公的救急機関」を「民間救急機関」がしっかりとサポートしながら、公民一体となって市民の生命を守っているんだなってことがよく判りました。
日本では高齢化時代に突入しており(2015年現在、すでに深刻な問題となっています。) 救急車の適性利用方法促進や、有効な民間救急機関を育成し、活用していかなきゃいけない時に来ているんじゃないかなって痛切に感じました。
(2015年現在、全国的に消防隊が救急隊を援助する、いわゆるPA(ポンプ&アンビュランス)連携が定着してきましたが、民間救急の普及はまだまだです。日本では患者を含む旅客業務は国交省が主管省庁となっており、なかなか進みませんが、厚労省と国交省の省庁の垣根を越えて、前向きに実現を目指していかなければならない課題だと思います。)
こうして,「MEDIC―ONE No28」は,次の出動に備え現場を引き上げましたが、私の同乗研修の時間も刻一刻と終わりに近づいていました。
(次回、シアトル編最終回Vol・10に続く)
シアトル救急隊「MEDIC-ONE」に同乗しての初出動は無事に終了、「MEDIC-ONE」は「第28消防署」に向かいました。
ちょうどその頃、時計は午前11時を回っており「Mr・HIGE、ランチを買っていくけど、Mr・HIGEは日本人だからチャイニーズ(中華)なら平気かな?」という問いかけがジェイソンさんからありました。
渡米してからというもの、アメリカ流の豪快でビッグなハンバーガーとか、ステーキやらには少し参っていたので「YES!」と答えると「OK!」と、「MEDIC-ONE」は、帰署途中、シアトル市の郊外にあるテイクアウトのお弁当屋さんへと立ち寄ってくれました。
立ち寄る際、私が「救急隊は、いつもこういうテイクアウトのお弁当を買って食べているんですか?」と尋ねると、「YES」とのことでしたが、もし日本で、こんな感じでテイクアウトのお弁当屋さんに救急車で寄り道して弁当を買っていようものなら大変なことになりますね。きっと、「救急隊員が勤務時間中に弁当を買う」なんて感じで、すぐに翌日の新聞記事になって騒ぎになることは間違いなし・・・なんていう話をランデイさんとジェイソンさんにしたところ、二人とも大変ビックリしながら「Oh!クレイジー!」
そして「Mr・HIGE、それは救急隊はランチを食べるなという事なのかい?そんな話は無いだろう。俺たちだって消防署で落ち着いて食べたいところだけど、そうはいかないからこうしてテイクアウトのランチで我慢してるし、出動の合間を縫って車の中で食べることも多いんだよ。だけど、シアトル市民は誰も皆、救急隊はランチをゆっくり食べる暇も無いほど忙しくて大変だな」と思ってくれているから、日本のような事にはまずならないね。」
と言われてしまいました。
※2003年当時は、上記のような状況でしたが、その後、東京消防庁において、都内のファーストフード店と協定を結び、出動態勢を確保したうえでの救急車のファーストフード店の利用が認められまています。
二人の話を聞き「確かにそのとおりだよな~」って思いました。日本では「公務員」というと何かと風当たりが強いんですよね。
ある国の省庁にいらっしゃった「裏金を着服して競走馬を買っていた高級官僚」とかならまさに「税金泥棒」とか言われても仕方ないですけど、全ての公務員がそういう訳じゃないですし・・・でも新聞とかメディアは、そういう事だけを記事にしてしまうから、またまた肩身が狭くなるんですよね。
それに比べるとアメリカの消防士や救急隊はみんな「HERO」です。「HERO」と「税金ドロボー」じゃ差がありすぎますよね。第3話で「MEDIC-2」のバーバラさんが「メディア」との関係を良くして協力してもらうことが大切」というお話をされていましたけど、「バッシング」が目立つ日本では、メディアとの協力体制なんてまだまだ無理なのかなあ~とか、いろいろと考えてしまいました。ありゃ・・・また横道に逸れてしまいました。ごめんなさい。
さて、テイクアウトのランチに話を戻します。
私はやっぱり「お米」が食べたかったので「チャーハン弁当」を買いました。日本人なんですね。一同、ランチの買い出しも無事に終わって「MEDIC-ONEーNo28」は、目的地の「第28消防署」へと向かいました。
幸い、帰署途上に出動指令は無く、どうにかこうにか無事に「第28消防署」に到着することができ、マジにホッとしました。(笑)
「シアトル市第28消防署」は,閑静な住宅地の中にありました。 (画像参照)
消防署に到着すると、署員の皆さんが暖かく迎えてくれました。シアトル第28消防署には、消防車が2台、はしご車が1台、そして「MEDIC-ONEーNo28」が配置されており、職員はそれぞれの消防車に4名、はしご車に4名、そして「MEDIC-ONE」に2名と残留勤務員(お留守番&連絡係)1名の計15名で勤務しているそうです。
私達が28消防署に到着した頃、署でもちょうどランチタイムで、食堂で職員の方たちがそれぞれに昼食を食べていました。
署員の皆さんに挨拶をしながら、しつこくもまた「ランチはどうしているのですか?」と聞いてみると、やっぱり消防車で買出しに行ったとのことで皆さんテイクアウトのお弁当を食べておりました。
挨拶を済ませた後、私も食堂で皆さんと一緒にランチを食べさせてもらいましたが,その際、ジェイソンさんが日本の救急隊の「ランチ事情」を話し始めると署員一同、口を揃えて「OH!NO!BOOOOO!」と、もう大ブーイングでしたが、日米「ランチ事情」は違えども、皆でいろんな話をしながら和気あいあいとランチをしている雰囲気は「日本もアメリカも同じなんだなあ」ってとても心が和みました。
そんなこんなで「日本の救急隊のランチ話」で盛り上がりながらランチを終えた後、「Mr・HIGEはテレビ・ゲームはやるのかい?」って話になりました。
私が「YES」と答えると「じゃあ,一緒においで」と手招きされた先は、地下への階段でした。地下に降りてみると、どうやらそこは「娯楽室」のようで、そこには豪華なソファーが数台と大きなテレビがありました。
「いつもやっているのですか?」と聞いてみると「NO」と言いながら,「Mr・HIGE、今はランチブレイクタイム(お昼休み)だよ。リフレッシュしなきゃ」とのことで、確かに日本でも認められている「お昼休み」の正午過ぎ。
・・・・ということでTVゲームで一戦交えることになりましたが、この続きはまた次回。
(シアトル編⑨に続く)
「ピーポーサイレン」の話しが長くなり、横道に反れてしまいましたが患者を乗せた「MEDIC―ONEーNo28」は「赤信号の交差点」をものともせずスイスイと通過。収容先であるHBMCへと向かいました。
「MEDIC―ONEーNo28」がHBMCに到着する頃には、患者さんの脈拍も血圧もだいぶ安定してきており、最も危惧されていた「危険な不整脈」も出現することなく現場から約10分程で無事に到着しました。
患者さんの乗ったストレッチャー(患者搬送用担架)を救急車から降ろし、「救急搬送専用入口」から院内へと入ると、すぐにER(救急救命室)となっており、すでに2人の医師と2人の看護婦さんが待機しており「はい,いらっしゃい」という状態でした。
皆さんは、連続ドラマで「ER(救急救命室)」という番組が放映されている(2003年当時、NHKで放映されていました。)のをご存じでしょうか?
シカゴの病院の「ER」が舞台となり、そこを舞台にいろいろな事件が起こるというドラマです。 私も観ているのですが、まさにあのドラマどおりの光景で、ちょっと感動してしまいした。患者さんを「ER」のベッドに移すと、ジェイソンさんは医師への引継ぎと現場から車内の患者の状態などの申し送りを、ランデイさんは救急車へと戻り車内の清掃と消毒、使用した器材の補充など次の出動に備える準備をしていました。
このあたりは日本もアメリカも全く一緒でした。私は,救急車の清掃をしているランデイさんのお手伝いをさせてもらい、お手伝いをしながら車内の救急資器材であるとか、現場に持って行くパラメディック・バッグの中などを見せてもらいましたが「薬剤」の入れてあるバッグ以外は,日本の救急隊の装備とほとんど変わりはなく、日本と全く違っていたのは、患者さんを収容するストレッチャーでした。
日本のストレッチャーは、軽量化をメインに進めているせいか華奢(きゃしゃ)で、体重の重い患者さんに使用する時や、砂利道など不安定な場所で使用する時はかなり不安です。
高さを変える時の「上げ下ろし」も人力なので、足場が不安定だと腰をやられてしまい、下手をすると、こっちが救急患者になってしまいそうな時もあるんですよね。(苦笑)
その点,アメリカのストレッチャーは、とてもがっちり出来ていて、安定感は抜群、上げ下ろしも油圧式なので、隊員が腰をやられる心配は無し。何と言ってもアメリカ人はみんな体格がいいですからね。
実際、今回の患者さんも80Kg以上は間違いなくありそうでしたから。ちなみに、このストレッチャーは最大荷重250KgまでOKだそうですから、お相撲さんでもOKです。
ちなみに、何年か前に高校の野球部員が、ノックの際にボールが顔面に当たり負傷した救急事案に出動したんですが、この部員はキャッチャーで、ドカベン並みの体格。100Kgは優に超えておいて、ストレッチャーに収容する際に、車輪はグラウンドの土にめり込むは、ストレッチャーはミシミシと悲鳴を上げるで、とても3人では上がらずホントに参りました。
その時は、他の野球部員に手助けをしてもらって、事なきを得ましたが、マンパワーが無いような現場だったらと思うと冷や汗もので、そんな時にこのアメリカ式ストレッチャーがあったらどんなに助かっただろうかと、その現場での苦労を思い出しました。
難点は、ストレッチャーそのものの重量がかなりあることなのですが、「ファースト・レスポンダー・システム」により、現場に常に6人のマンパワーがあるシアトルだから、このストレッチャーを活用できるんですよね。
そんなこんなで、ランデイさんと救急車の掃除と準備を終えた頃、ジェイソンさんが救急車に戻ってきました。ジェイソンさんの話しによると、どうやら「心臓」が原因ではなく軽い「脳梗塞」だったそうで、ランデイさんの問診に上手く答えられなかったようです。
何はともあれ患者さんに別状がなくてよかったです。こうして記念すべき私の「アメリカ救急初出動」は無事終了し、「MEDIC―ONEーNo28」は再び「第28消防署」へと向かいました。
出発の際、ランデイさんが「今日は珍しいお客さんが乗っているから、また出動があるかも知れないよ(笑)Mr・HIGEは28消防署に無事たどり着けるのかな?」なんて笑いながら言っていましたが、私も「冗談じゃなくマジに着けないかもな・・・」なんて考えてしまいました。さて、私は無事に「第28消防署」に行くことができたのでしょうか?
この続きはまた次回に(シアトル編⑧に続く)
シアトル市消防局救急隊「MEDIC-ONE・No28」に同乗していきなりの救急出動となりましたが、幸いなことに患者さんの意識もしっかりしており、危惧された「危険な不整脈」もありませんでした。
「消防隊」と「救急隊」の見事なチームプレーにより患者さんを収容した「MEDIC-ONEーNo28」は、ランディさんの運転で収容医療機関のHBMCへと走り出しましたが、サイレンを鳴らして走っている救急車に同乗していた私はあることに気がつきました。
出動して現場に向かう時は緊張していて気が付かなかったのですが、救急車は赤信号の交差点を幾度か通過していますが、ただの一度も「一時停車」することなく走っていました。
アメリカに到着してすぐにホテルから街に出た私は、日本人より結構せっかちなアメリカのドライバーに驚きました。
自動車を運転している人は、「プープー」とすぐに「クラックション」を鳴らしながらかなりのスピードで市内を走っており、赤信号にも関わらず、車が来なければ平気で交差点を通過していくのです。
歩行者もまたしかりで、歩行者用の信号を守り、きちんと「青信号」になってから横断歩道を渡る人は少なく、車が来なければどんどん横断して行く人が多く「アメリカでは交通事故も多いんだろうな~」と感じ、正直「怖い」とも思いました。
そんな交通状況にも関わらず「MEDIC-ONE」は赤信号の交差点をものともせず、一時停止せずに通過しているのです・・・そのことに私は本当に驚きました。
日本で救急車に乗っている時は、「赤信号の交差点」を通過する時が最も危険であり、相当の神経を使い、万全の注意を払います。
なぜなら,救急車が交差点に差しかかっている事に気が付いているのにも関わらず、停止せず平然と通過していく車が非常に多いからです。最近では、平然と携帯電話で話しながら救急車の前を通過していく車も増えています。
ですから、赤信号の交差点では必ず「一時停止」して左右の車両が完全に停止したのを確認した上で、緊急時にはいつでも停止できる速度で交差点を通過しています。
ですから「MEDIC-ONE」が「一時停止」をすることなく、少し速度を緩めただけでスイスイと通過していくことに本当にビックリしました。
ちょうどその頃、現場で点滴投与した「血圧降下剤」が効き始めたのか、患者さんの血圧も脈拍も安定し、処置にあたっていたジェイソンさんも一段落したようでしたので、私が「救急車は赤信号の交差点で一時停止をしないんですか?危なくはないのですか?」と尋ねると「ミスターHIGE、救急車に道を譲らないような馬鹿はいませんよ。」という答えが返ってきました。
私が、日本の状況を話すと、ジェイソンさんは「日本人は規則を守る国民と聞いていましたが意外ですね。アメリカは普段はあなたが見たような感じですが、いざという時は結構きちんとしてますよ。困っている人や弱者は助けなければいけないという考え方なんですね。だから救急車や消防車、スクール・バスなどには,きちんと道を譲っています。」とのことでした。
その後も、赤信号の交差点を数回通過したので左右の交通状況を確認してみましたが、左右全ての一般車両は見事なまでに完全停止し救急車に道を譲っていました。
「いつもはあんな感じなのに、こういう時はきちんとしているんだなあ」と本当に驚き、救急車に対する交通マナーは日本人の方が全然なってないな・・・と感じました。
アメリカの人達は、ジェイソンさんがおっしゃっていたように「日本人はマナーを守る素晴らしい国民」と思ってくれているようですが本当にそうでしょうか?その話を聞いて日本人として「そういう国にしなきゃいけないよな」って思いました。
しかし、どうしてこんなに見事なまで一般車両がみんな止まってくれるのかなあ?習慣とか国民性の違いなのかな?という私の疑問はやがて解けました。
もちろんモラルの部分によるところも大きいんですけど、あの独特の「サイレン音」にもそのヒミツがあったんです。
そもそも、日本に救急車が誕生した当時は「ウーウー」という、現在のパトカーに似たような音だったんだそうです。しかし、救急業務が社会的に認められ定着しはじめた昭和40年代後半になると、あの「ウーウー」というサイレン音は、救急車に乗っている患者さんに対して「不安感」を与えるという声が出始め、現在の「ピーポーサイレン」に変わったということです。
国土交通省の調べによると「緊急業務自動車」の交通事故件数で最も多いのは「救急車」の事故で、消防車やパトカー等他の緊急車と比較すると群を抜く多さであるとのことです。
そのため、国土交通省では救急車の事故原因の調査を始めたらしいのですが、その原因のひとつに、あの「ピーポーサイレン」が挙げられているそうです。
どうやら,あの「ピーポーピーポー」という音は、あまりにも穏やかで優しい音色であるがために、走っている一般車両に対して「停止しなければいけないんだ」という気持ちにさせにくいようなんです。そう言われると確かに、そんな感じもします。
それに比べて「パトカー」や「消防車」のサイレン音は、救急車に比べると緊迫感があり、消防車での緊急通行時の方が、一般車両が止まってくれているように思います。
まして、アメリカの救急車は日本のパトカーや消防車よりも遥かに緊迫感が溢れた「ピュンピューン」という音色で、かなり遠方からでも、どちらの方向から救急車が近づいて来ているのかがわかりますから、当然、早い段階での停車措置がとられスムーズな交差点通過に繋がっているのかなと思いました。
日本の救急車の「ピーポーサイレン」ですと、かなり近くに来てからでないと聞こえませんし、聞こえていても一体どっちの方向から救急車が来ているのか判らないことが多いと思います。私も勤務明けで車を運転している時、「ピーポーサイレン」を鳴らして近づいてくる救急車に遭遇しますが、一体どちらから接近してくるのか方向がさっぱり判らない事が多々あります。(汗) 普段、救急車に乗っている私ですらこうなんですから、一般の方はもっと判らないですよね・・・・
余談になりますが、アメリカから帰国してから、私は「ある実験」をしてみました。
私が勤務している消防署の救急車には「ピーポーサイレン」の補助的な役割として、アメリカの救急車のサイレン音によく似た「電子サイレン」というのが搭載されているんですが、帰国後に私が救急隊長として救急車に乗務したとき、これをメインに使用して、シアトルの救急隊をマネして断続的に「ピューンピュピューン」と鳴らしてみると・・・・
あら不思議・・・「ピーポーサイレン」に比べると断然こっちの方が「停車率」がいいんです(驚)ですから、現在「国土交通省」で検討されているという「ピーポーサイレンがよくないのでは。」というご意見は当たっているのではないかなと私は思っています。
昭和40年代の当時に比べると、交通量は激増、救急要請件数も増大しており、そろそろ「ピーポーサイレン」の時代も終わりが近づいているのかな・・・という気がしています。
昭和40年代の日本では、現在のような救命を主眼とした「救命救急業務」ではなく、病院に搬送するだけの「搬送救急」という時代でした。
当然のことながら「早期除細動」の重要性なども認識されておらず、患者さんに不快感を与えないという事の方が重要な事だったのかも知れません。
しかし、あれから30年以上の時が流れ、時代は大きく変わりました。なによりも一刻を争う患者さんやご家族、そして救急車の安全な走行のためにも、あの音色を変える時期なのではないかと思っています。
ありゃりゃ・・・またもや、話が横道に反れてしまいました。患者さんを病院に収容してからの話は、また次回とさせて頂きます。(シアトル編⑦に続く)
シアトル市消防局のご厚意により、シアトル市消防局救急隊「MEDIC-ONE・No28」に同乗させて頂きましたが、引き続きその同乗レポートです。
シアトル市内のハイウェイを「第28消防署」に向い走行中の「MEDIC-ONEーNo28」の無線機から,「ピーピー」という呼び出し信号が流れました・・・その途端、私と笑いながら話しをしていたランディさんとジェイソンさんの顔が厳しくなりました。
そうです、走行中の「MEDIC-ONEーNo28」に出動指令が出たのです。
私にも緊張が走りました・・・・そしてカン高いサイレンの音とともに「MEDIC-ONE・No28」はスピードを上げ走り出しました。
いよいよアメリカ救急現場への出動です。「911・ディスパッチセンター」からの無線指令によると「患者は心臓に持病を持つ54歳の男性で不整脈の模様」とのこと。救急現場を管轄する第26消防署の消防隊と同時出動とのことでした。
「ハーバービュー・メディカル・センター」で私を乗せてから、市内の南部に位置する第28消防署に向かう途中の出動のため、現場まではかなり距離があるようで、現場に到着するまでに10分程度の時間が掛かりましたが、「MEDIC-ONEーNo28」が現場に着くと、すでに管轄消防隊が現場に到着していました。
ランディさんの指示に従い、後から続いて現場に行くと、肥満体型の初老の男性が椅子に座っており、幸い意識ははっきりしていました。
男性には、先着した第26消防隊のEMT隊員により心電図が装着され、EMT隊員による血圧測定も行われ、万一の場合に備えて患者さんの傍らには第26消防隊に積載されている「AED」がスタンバっていました。
ランディさんは,第26消防隊の隊長から患者の状態と現在までの救急処置の説明を聞いた後、患者さんの「問診」から開始しましたが、どうやら患者は上手く話せない様子でした。ランディさんは患者の家族を呼び、家族から話しを聞き始めました。
家族の話によると「不整脈」と「高血圧症」の病歴があることが判りました。
続いてランディさんは「心電図モニター」を確認しました。私も一緒にモニターを見させてもらいました(心電図は世界共通なので判りました:笑)が、「危険な波形」ではないものの、脈拍は毎分180~200回の頻脈(ひんみゃく:正常値の毎分60~80回に比較し多い状態)状態であり、血圧も180mmHg~200mmHg台と(通常血圧は110~130mmHg)こちらもかなり高い状態でした。
ランディさんは、患者さんと家族に対して、これから実施する救急処置を説明(この説明をインフォームド・コンセント:「理解と納得」といい日本の救急隊も実施しています。)した後、採血(日本の救急救命士はできません)と点滴を実施しました。
その間、ジェイソンさんはパラメディックが使用する「パラメディック・バッグ」の中から薬のアンプルを取り出し、注射器にセットし、ランディさんが患者に実施した点滴チューブからその薬剤を注入しました。ランディさんは私に「血圧降下剤」であることを説明してくれました。(日本の救急救命士には、一部の薬剤以外はまだできません。)
その間、第26消防隊の隊員はというと、1名はランディさんとジェイソンさんのサポート、消防隊長さんは患者の状態等を指令センターへ無線で連絡している様子で、あとの隊員2名は「MEDIC-ONE」からストレッチャー(患者搬送担架式ベッド)を現場に搬送していました。
現場では「消防隊」と「救急隊」がそれぞれの役割をしっかり果たしており、実に時間的な無駄が無いスムーズな現場活動に大変感心しました。
日本の場合ですと、3人の救急隊だけで活動することが多いため、現場が錯綜していたり混乱していると、どうしても無駄な時間を要してしまいスムーズに活動できない時が多いんですよね。「やっぱり現場はマンパワーだよな~」と痛感しました。
その後、患者は第26消防隊員によりストレッチャーに収容され、「MEDIC-ONE」の車内へと収容されましたが、その間ランディさんとジェイソンさんは収容活動は一切行わずに、二人の目はそれぞれ患者の男性と患者に装着された心電図モニターの画面を注視していました。心臓に持病のある患者の容態の急変に備え「一瞬の油断もしない」という雰囲気を感じることができました。
患者を収容する際、「MEDIC―ONEーNo28」よりも早く現場に到着していた第26消防隊の隊員に、出動から現場到着までの「レスポンス・タイム」について「どのくらいの時間で現場に到着しましたか?」と尋ねると「About 3Minitts」とのことで、わずか「3分」で現場に到着しており、前日ゴードンさんから聞いたとおり「4分以内」で現場に到着していました。
第26消防隊員の手により、患者を車内収容するやいなや、ランディさんの運転により「ピューンピュピューン」という独特のカン高いサイレン音とともに「MEDIC―ONE ーNo28」は、収容先であるHBMCへと走り出しました・・・・そこでは、またまた驚くことがあったんですが、この続きはまた次回に・・・(シアトル編⑥に続く)
さて、シアトル市消防局のご厚意により、なんとシアトル市消防局救急隊「MEDIC-ONE」に同乗できることになりましたので、今回は、シアトル救急隊同乗レポートをお送りします。
シアトル市消防局のシニア・パラメディックであるゴードンさんのお計らいにより、ついに夢にまで見たシアトル市救急隊「MEDIC-ONE」(メディック・ワン)に同乗できることになりました。
同乗研修の当日は、緊張しながら待ち合わせ場所の「ハーバービュー・メディカル・センター」の「MEDIC-ONE」オフィスに向かいました。
今回、同乗させて頂くのは「SEATTLE・28TH・Fireーstation」(シアトル市第28消防署)所属の「MEDIC-ONE・No28」(第28救急隊)です。
約束の時間になり、HBMCに「MEDIC-ONE・No28」が到着しました。
今回お世話になるのは隊長の「シニア・パラメディック」ランデイさんと隊員のジェイソンさんです。「本日はお世話になります。」と挨拶した後、お話をしましたが、ジェイソンさんは27歳の若手バリバリ、大きな体に似合わず(笑)笑うととても愛嬌のある方でした。ちなみにランディさんは東洋系アメリカ人で、とても親近感のある方でしたが、年齢については「トップ・シークレット」との事(笑)で教えてもらえませんでした。(推定すると40歳半ばくらいかなあ・・・という感じでした。)
ご挨拶を済ませた後、早速「MEDIC-ONE・No28」に乗り込み、第28消防署へと向かいました。アメリカmの救急隊は、日本の救急隊より1人少ない2人で運用されています。日本ですと、助手席には救急隊長、運転席には機関員と呼ばれる運転担当、そして後部隊員席に救急隊員が乗車して3人で出動しますが、アメリカでは隊長兼機関員となり、救急隊長が救急車を運転、隊員は通常走行時と出動して現場に到着するまでの間は助手席に、患者さんを収容後、病院に到するまでは後部の隊員席で患者の対応をします。
それでは、「重症患者で2人の手が必要な時やCPA(心肺停止)患者に対してCPR(心肺蘇生法)を実施したりする時にはどうするの?マンパワーが不足してしまうんじゃないの?」という疑問が出てきますが、ここで前にご紹介した「ファースト・レスポンダー・システム」が活きてきます。
常に消防隊と救急隊が同時に出動しているため、救急現場には救急隊2名、消防隊4名の合計6名の人員がいます。
さらに、同じく前段でご紹介したとおり、シアトル市消防局では全ての消防職員が「EMT(救急隊員)資格」を有していますので、救急現場には2人のパラメディックと4人の救急隊員が常にいるということになり、一見すると日本の救急隊よりも1人少ないように思えますが、実はその倍の6人のマンパワーがあるのです。
患者が重症と判断された時やCPAの場合は、2名のパラメディックが後部で患者に対応し,同時出動してきた消防隊の1名が「MEDIC-ONE」を運転し、医療機関に向かいます。患者の容態によっては、2名のパラメディックプラス、消防隊の中の1名のEMT隊員の合計3名で患者に対応し、消防隊の1名が「MEDIC-ONE」の運転をします。
この場合、「MEDIC-ONE」と消防隊はいずれも緊急走行して医療機関に向かい、患者を医療機関に収容した後,消防車の隊員は消防車に乗って直ちに医療機関を引き上げるという非常に合理的な救急システムとなっています。
(2014年現在、日本でもPA連携という消防隊、救急隊の同時出動システムは構築されましたが、ここまで臨機応変に対応できるような合理化はまだされていません。)
また、日本の場合は(地域にもよりますが・・・)患者を収容した救急隊が、医療機関に連絡し、患者の収容が可能かどうか、いわゆる「病院収容交渉」を実施しますが、「MEDIC-ONE」が扱う重篤患者は全てHBMCのER(救急救命センター)が受け入れる体制となっており、収容の連絡も「911・ディスパッチ・センター」または消防隊の隊長が実施するため、救急隊は患者を収容した後は直ちに患者に対応でき、すぐに医療機関に出発できます。このように現場での「ロスタイム」が無いことも、高い救命率の一因となっているのです。(2014年現在においても、日本では、救急隊の現場滞在時間をいかに短縮するかが課題とされています。)
ですから、日本のように救急隊が現場で収容交渉をすることはほとんど無く、日本でよく問題となる「患者のたらい回し」ということもありません。
実際のところ、一番苦慮するのが収容交渉が難航することです・・・地域にもよりますが、私の勤務している地域では、深夜時間帯における「小児の重症疾患」や「交通事故による重症多発外傷」「急性アルコール中毒」「精神疾患」「急性薬物中毒」「傷害事件」などの場合、医療機関への収容交渉は多くが難航し、現場滞在時間が長くなってしまい、時には患者さんやご家族とのトラブルの原因になってしまうこともあります。
一般の方は、「救急車が来れば、すぐに病院に連れて行ってもらえる。」と思っている方が実はまだまだ多く、「なんでこんなに時間がかかるのですか?」と聞かれると本当に辛いです。この問題については、2014年になって、日本でもかなり改善されてはいますが、医師の不足など医療資源の問題もあり、いまだに苦慮している地域もあるものと思います。
ちなみに、2003年当時、このようなお話をランディさんとジェイソンさんにしたところ、二人ともビックリしておりまして「日本の救急隊はとても大変なんだね」と同情されてしまいました・・・・話が本題から反れましたが、そんな話をしながら第28消防署に向かっていた「MEDIC-ONEーNo28」の無線機から、「ピーピー」という呼び出し信号と思われるカン高い指令音が流れました。
その途端、今まで私と笑いながら話しをていたランディさんとジェイソンさんの顔が急に厳しくなりました。そうです、走行中の「MEDIC-ONE・No28」に出動指令が出たのです。私にも緊張が走りました・・・・
無線に応答した後、「ピューンピューンピューン」という独特のサイレン音とともに「MEDIC-ONE・No28」は、スピードを上げて走り始めました。
さあ、いよいよアメリカの生の救急現場に出動とあいなりましたが、この続きはまた次回とさせて頂きますので、どうぞお楽しみに。(シアトル編⑤に続く)
シアトル市の高い救命率は、「ファースト・レスポンダー・システム」により「救命の鎖」が機能していることにより達成されていました。
そして、そのシステムは、市民の約半数という多くのバイスタンダーにより支えられていることを知りましたが、今回は「なぜシアトル市では,このように多くの市民が応急手当資格を有しているのか?どのようにして普及させていったのか?」という「市民普及プログラム」についてお知らせしていきたいと思います。今回はちょっと長編になりますがお付き合い下さい。
私がゴードンさんに「なぜシアトル市では、このように多くの市民が応急手当資格を有しているのか?そして、どのようにして普及させていったのか?」と質問したところ、ゴードンさんから「市民への応急手当普及は,全てMEDIC―2(メディック・ツー)と呼ばれる専門セクションで行われています。ミスターHIGEの知りたいことはそこで判ると思いますので、ご案内します。」とのことで、早速ゴードンさんの案内により「MEDIC―2」のオフィスがある「SEATTLE 2th FIRESTATION(シアトル市第2消防署)」に移動することになりました 。
私を乗せた車は、シアトル市第2消防署に到着。ゴードンさんが1階にある「MEDIC―2」のオフィスに私を案内してくれました。
オフィスでは、たくさんの女性が働いていましたが、「MEDIC―2」の「チーフ・コーディネーター」であるバーバラ・ブレイトさんが暖かく出迎えてくれました。
「MEDIC―2」のオフィスは、思ったよりもこじんまりしていて、バーバラさんの他に7~8名の女性スタッフで運営されていました。
バーバラさんは、1970年(昭和45年)にシアトル市消防局に「MEDIC―2」が創設されて以来、「MEDIC―2」とともに歩まれたそうで、まさに「救命都市シアトル」を育てた母親のような存在の方であり、シアトル市が世界一の救命都市となった歴史について私に話してくれました。(以下バーバラさんのお話です。)
1960年(昭和35年)ハーバービュー・メディカルセンターの心臓病理学の権威である「Dr・Leonald・A・Cobb」(レオナルド・A・コッブ医師)をはじめとする医師グループにより、年々増加していた「心臓突然死」に対するプレ・ホスピタルケア(病院搬送前医療)の重要性が叫ばれるようになり、「どうすれば,これらの心臓突然死から救命できるのか?」という問題が提起されました。
そのためには救急現場において,「救命のための処置が可能なパラメディクの養成と整備」&「救命処置ができる市民の育成」であることが提唱されました。 1960年当時、このような業務を行うには「シアトル市消防局」が最もふさわしい機関でした。なぜなら当時のシアトル市消防局は、緊急現場に即時対応できる機関として既に確立されつつあったからです。
当時のシアトル市消防局長である「Gordon・F・Vickery」(ゴードン・F・ビックリー)局長は、消防職員による効果的な応急処置や交通事故などによる重症外傷患者への応急処置等について、以前からその対策を研究中であったことから、シアトル市においてこれらの「提唱」を実行に移すという営断が下されました。
そして1969年(昭和44年)「ハーバービュー・メディカルセンター」において,ワシントン大学の医師団の指導のもとに、シアトル市消防局の消防職員15名を対象とした「パラメディック」養成のための200時間の座学研修と、700時間もの病院実習プログラムが開始され、翌1970年(昭和45年)6月、シアトル市消防局パラメディック・チーム「MEDIC―ONE」が設立され運用が開始されました。
設立当初の「MEDIC-ONE」は、医師が救急車に同乗し救急出動する、いわゆる「ドクターカー方式」を採用し、対象は「心臓疾患患者」のみでした。
なぜなら,当時のワシントン州の法律では,「医師による救急隊の遠隔指示」ができなかったからです。その後、「医師による救急隊への遠隔指示体制(メディカル・コントロール)」がワシントン州の法律として定められ、医師による遠隔指示体制(メディカル・コントロール)が確立してから「MEDIC-ONE」はめざましい効果を挙げはじめました。
臨床的に「死」と判定されていた患者が、救急現場での高度な救命処置により蘇生し、入院治療の後,社会復帰するという救命事例が増加しはじめたのです。
その後、外傷に対する処置、アレルギー疾患、神経学的疾患、脳疾患など、病院外で発生し得る全ての救急事故に対応するための教育と訓練が実施されるとともに、1972年(昭和47年)には、それまで「医師の指示」により行われていたパラメディックによる救命処置が、「医師の指示を必要としない」よう州法が改正され。症例ごとの「プロトコール(事前決定事項)」が作成され,パラメディックはその「プロトコール」に従い、医師の指示無しで各種の救命処置が実施できるようになり現在に至っています。
「MEDIC-ONE」が創設された1970年(昭和45年)、シアトル市消防局では,全消防職員に対し,EMT(救急隊員)として必要なCPRをはじめとする救急処置訓練を実施するとともに、救急事故発生現場において直ちにCPR等の「初期救命処置」が開始できるよう、消防隊を「MEDIC-ONE」と同時に出動させる「ファースト・レスポンダー・システム」を考案し開始しました。
このシステムの導入により、救急事故現場への到着時間(レスポンス・タイム)は大幅に短縮され、心臓疾患による心肺停止患者の蘇生率ならびに社会復帰率は大幅に向上しました。 翌1971年(昭和46年)になると、ビックリー消防局長は「消防隊または救急隊が現場に到着するまでの間、心肺停止した患者に対して初期の救命処置が実施できるのは市民だけである。」という信念のもと、多くのシアトル市民にCPR等のBLS(一次救命処置)を普及することを目的に「世界初のバイスタンダー育成専門組織」として、シアトル市第2消防署内に「MEDIC―2」を設立しました。
「MEDIC―ONE」においてパラメディックを養成する一方、市民に対する大規模なBLSの普及啓発プロジェクトが策定され「パラメディック」の養成と「バイスタンダーの養成普及」を両輪としたシアトル市を挙げての「救急救命一大プロジェクト」が全米に先駆けてスタートしたのです。
CPRを主体とした市民に対するBLSの普及活動は、6,000人の「市民ボランティア指導員」を育成することを最初の目標に掲げ、全ての消防職員を総動員して開始されました。そして,最初の1年間で6,000人の「市民ボランティア指導員」の養成を達成。
さらに,これらの「ボランティア指導員」と消防職員を総動員した市民指導を展開し、毎月1,500人の育成を目標に掲げた活動が続けられました。
その間「MEDIC-ONE」と消防隊員達の献身的な活動によって多くの尊い生命が救われたことも大きな力となり、BLS受講希望者も増えました。
その結果,3年後の1973年(昭和48年)には延べ受講人員は100,000人を突破し、シアトル市において「CPR」という言葉は一般家庭用語として使用されるまでになりました。そして25年後の1995年(平成7年)には、キング郡(シアトル市を含む周辺都市郡:総人口約1,000,000人)内の延べ受講者数は600,000人を突破し、現在では700,000人を超えるまでになりました。
シアトル市内の「BLS有資格者」は再講習実施者を含め、延べ500,000人を超えており。再講習受講者を除いた純粋な有資格者数は約300,000人以上いると思います・・・・バーバラさんのお話はこのような内容でした。
バーバラさんの話を聞き,私は本当に驚きました。バーバラさんが語った「BLS有資格者数」は、私がシアトルを訪れる前に、各種の参考文献により知っていた「全市民の30%が有資格者」という規模を遙かに超えており、実に市民の50%以上、二人に一人が「BLS講習受講者」であり「MEDIC―ONE」のオフィスにおいてゴードンさんから説明を受けた「バイスタンダーCPR実施率は50%」という数字と、平均して30%を超える高い救命率を裏付けるものでした。
なぜ、このように多くの市民が「BLS講習」を受講しているのか?をバーバラさんに尋ねると、次のような説明をしてくれました。 (以下はバーバラさんのお話です。)
シアトル市では、さらに多くのバイスタンダーを養成するために、1970年代の後半から、市内の公立中学校の中学1年生(13歳学童)に対しての「BLS教育」を学校の授業プログラムの必須科目とすることを計画し、1979年(昭和54年)から市内に10ケ所ある公立中学校での「BLS授業」が始まりました。
このBLS授業は延べ2日間の2時間で行われ、消防署から職員を派遣し実施されています。「BLS」により大切な家族や友人の命を救うことができるという「BLSの必要性」と「CPR実技トレーニング」が実施されており、毎年3,500人~5,000人の生徒が受講しています。
開始から24年を経過した現在(2003年当時)では、延べ約100,000人以上
の生徒が受講し、そのほとんどが中学校を卒業後、再び「BLS講習」を受講してくれており、市民バイスタンダーの普及育成の大きな力となりました。
さらに、まだ必須科目の義務化には至っていないものの(2003年当時)、公立小学校においても児童教育プログラムの一環として消防職員を派遣した「防火教育」と「BLS教育」の授業が全ての小学校で恒常的に実施されていますし、「FirestationーTure(消防署見学)」も随時実施され、未就学児童や幼稚園児に対しての基礎教育も行っており、こうした幼児期からの「BLSへの意識付け」が、その後の普及活動の基礎となっています。
市民からの「BLS講習」の受講募集はシアトル消防局のHPや新聞などにより随時募集しています。市民からの申し込みはの全ては「MEDIC―2」が対応し、希望者が希望する時間と場所に、その近くに居住する非番または休日の消防職員を講師として派遣するという講習会のコーディネートを実施しています。
受講者の希望により講習会の開催は。夕方から夜間となることが多いですが、全て受講者の希望どおりの時間帯に実施することを原則として講習会をコーディネートしています。
ここまで話を聞いていた私が、「日本に比べ,アメリカの人はオフと勤務の区別がすごくはっきりとしていると思っていたので,かなり驚きました。でも,非番や休日といったオフの消防職員を夜間に派遣することについては,当然のことながら時間外勤務手当等、公費から手当を支給した場合、莫大な金額になるのではないですか?」と質問すると、バーバラさんは笑いながらこう話してくれました。
「MEDIC―2」には、創設当初から市内のロータリークラブや企業がスポンサーとして後援してくれています。(シアトルを拠点とするスターバックスやボーイング社など)
総額は年間約3万ドル(300万円)を越える寄付が寄せられ、BLSの普及活動についての支出はこれらの寄付金をプールした「基金」から拠出され、消防職員の夜間における指導出向の手当などもこの基金から拠出されています。
しかし、そう言っても当然のことながら職員の協力が必要不可欠であり、シアトル市消防局職員の「ボランティア意識」の高さと「BLS普及への使命感」そして全米一の救命率を「誇り」に思って業務に尽力してくれる職員の意識の高さに依る部分が非常に大きなウェイトを占めています。
仮にの話ですが、シアトルの消防士達は、もしこういった「手当」が無かったとしても、指導には行ってくれますよ・・・彼等はシアトル市消防局の職員であることを誇りに思い、救命講習の指導も、火災や救急現場と同じ重要な任務であり、仕事であることを判ってくれていますから・・・ですから,シアトル市の消防職員には本当に感謝していますし,私も誇りに思っています。
そして、これらの「BLS普及」に関しては、学校関係、市民団体、保健関連部局とも連携を取りながら、消防局だけではなく、シアトル市の行政機関として「MEDIC-2」は運営されているのです。
さらに、シアトル市では,多数の者が出入りする空港や鉄道の駅、野球場、フットボール競技場などの職員に対する「BLS講習」の受講も推進しています。
まだ法令による義務化には至ってはいませんが(2003年当時)これらの各施設においては講習を受けることを義務付けているようです。
2003年7月にアメリカ合衆国連邦議会において、一定規模以上の集客施設、公共機関、交通機関への「AED設置義務法案」が可決され、2004年度からの施行となっていることから、今後,州法や市条例も整備され、これらの施設に勤務する者に対する「BLS講習」の義務化も実現するでしょう・・・とのお話でした。
続いて,講習会の実施内容について質問してみました。
「BLS講習会」は、おおむね20人を1クラスとして20名を基準に指導員1名を派遣しています。講習内容ですが「BLSの重要性の意識付け」は、現在の受講者のほとんどが中学校の必修授業において実施していることから、意識付けにはあまり時間を掛けず「BLSの実施による救命事例ビデオ」の上映を約15分間実施した後、「CPRスキル(実技)」を主体とした約2時間の講習を実施しています。
シアトル市内の年間BLS講習会実施件数(当時)は800~1000件、年間延べ受講者数は平均で15,000人です。・・とのことであり、これは日本において国が定めている3時間の「普通救命講習」とほとんど変わりのない内容でした。
そんな中、「ミスターHIGE?実は今夜19時~21時の間、市内で美容師さん15名によるBLS講習会が予定されています。もしよかったら見学して行かれますか?」とのお誘いがあったので、もちろん「YES!」と答えましたが、その後、先方の都合により残念ながら中止になってしまい「シアトルでの生のBLS指導現場」を見ることができず、これは非常に残念でした(涙)
しかし、このようにほぼ毎日、市内のどこかで「救命講習会」が開催されていることがバイスタンダー育成の大きな要因となっているのだなと理解できました。
また、これらのBLS講習会の開催については。メディアとの良好な関係の構築も大きな力になっているそうです。「バイスタンダーCPR」等の「BLS」により救命され、社会復帰した救急事例があった時は、出動した消防隊あるいは「MEDIC―ONE」から、その情報が「MEDIC―2」に伝えられます。
その情報を受けた「MEDIC―2」では,直ちにBLSを実施してくれたバイスタンダーや傷病者の関係者に連絡を取り、その事実について報道機関に情報を送ってよいかという許可を求めます。
バイスタンダーや傷病者の関係者から許可が取れると、直ちに「NEWS―LETTER」と呼ばれる報道機関への「情報提供用紙」を使用し「Eメール」や「FAX」により、シアトルの地元紙はもとより、全米をネットする新聞、テレビ、ラジオ局へ送信します。
その内容を記事やニュースとして報道するか否かについては各報道機関に任せていますが、ニュースは速報性が重要ですから素早い情報提供を心懸けているそうです。
だから、メディアへの情報提供に関する一切の権限は「MEDIC―2」に一任されているそうです。数年前から全米紙や全国ネットのテレビにおいてシアトルの救命率の高さが報道され「心臓に持病がある人はシアトルに移住しよう。そうすれば、もしもの時でも生命は助かり長生きできる。」という内容の特集も組まれているんです。
そして、このような報道がある度に受講希望者は増えますので「広報メディア」の協力と有効な活用がバイスタンダーの育成には必要不可欠ですね。
これらの報道は、シアトル市民にも大きな自信と誇りを与え、「応急手当」の資格を有することは「シアトル市民の義務」という社会常識となり「救命の鎖」は、さらに強く連結しているのです。
このように,多くの市民に普及させることは消防や市当局といった「行政の力」だけでは到底なし得なかったと思います。消防局、市当局の努力とメディアの協力、そして何より市民ひとりひとりの認識と協力があったからこそできたのだと思います。
特に学校教育における「BLS授業」を導入して以降、普及率は飛躍的に伸び、今日のシアトル市を作り上げたと思います。「MEDIC-2」の創設当初に活動してくれた6,000人の市民ボランティア指導員、場所と時間を問わず毎日指導に飛び回ってくれた消防士達には大変感謝しているとともに今も誇りに思っています・・・・
とのことで,ここまでの話を聞いていて私の涙腺は感動で爆発寸前になっていました。
しかし、ぐっとこらえて最後にシアトル市における「AED」の設置率と「AED使用可能な有資格者数」及び「市民による早期除細動(PAD)実施率」についてはどうですか?と質問しました。
「AED」はスタジアムや空港・鉄道の駅、百貨店など不特定多数の者が利用する機関に設置されていますが、シアトル市ではそれほど多くはありません。
「AED使用有資格者」もまだ2000人足らずですので「PAD実施率」についての統計分析はしていませんが、「ファースト・レスポンダー・システム」が確立され、消防機関の災害発生現場への到着時間が大きく短縮されているため、ほとんどの場合は市民が「バイスタンダーCPR」を実施している時点で消防隊や救急隊が現場に到着しています。
ですから「PAD」の施行に至る前に消防隊、救急隊に引き継がれ「除細動処置」が実施されているので、シアトル市においては「AED」や「PAD」についてそれほど重要視はしていません。最も重要なことは「救命の鎖を連結させる」という市民個々の意識と、救命するために必要な最低限の知識と技術、すなわち「バイスタンダーCPR」ですから。
以上がバーバラさんから伺った「救命都市シアトルの歴史」でしたが、お話を聞き終って本当に感動しました。特に最後の「AED」の話は、全くその通りであると非常に共感を覚えました。
日本における「AEDの一般使用」については以前このHPの「特集」でも、みなさんにご紹介したとおり、来年度の法制化に向けて、現在厚生労働省などの関係省庁において実施のための検討がなされているところですが、その「特集」でも私が書いたとおり、「AEDの設置」だけでは救命率向上のための根本的な解決策とはならず、そのための「下地」である「バイスタンダー」をしっかりと作っていくことが大切であるということを改めて実感しました。
余談ですが、バーバラさんとの話の中で、私が「バスケットボール大会」の審判中に42歳の男性審判員がCPAとなった事、たまたま居合わせた私が「バイスタンダーCPR」を実施し、到着した救急隊の「除細動」と病院での救命処置という「救命の鎖」が連結し男性は救命され完全社会復帰したことについてのお話をしたところ、バーバラさんは「Fantastic!本当によかったですね。それはもちろんメディアで大きく取り上げられたのでしょう?」と言われました。
私が「NO・・残念ながら私が表彰されて終わりになりました。私は当たり前のことをしただけで,表彰なんていらなかったし,むしろ救命の鎖が機能した救命事例として多くの人にBLSと救命の鎖の重要性を知ってもらいたかったのですが。」と答えるとバーバラさんは「そうですか。それはミスターHIGEも残念だったでしょう。もし、それがシアトルだったら新聞では一面記事ですし、地元のテレビも大きく報道していますよ。そして、翌日から救命講習の受講者がたくさん増えたでしょうね。」と本当に残念そうにおっしゃっていました。
話しが少し横道にそれましたが,バーバラさんのお話を聞き終えての感想は、まさに「シアトルは一日にして成らず。」であり、市民指導に尽力した「MEDIC―2」の皆さん、シアトルの消防士達、そして市民の期待に応えるために懸命の救命活動を行い多くの尊い命を救った「MEDIC―ONE」のパラメディック達の努力が市民の心に通じたものなのだとお話しを伺いながら胸が熱くなってきてしまいました。
バーバラさんがおっしゃっていた「シアトルの消防士達は、たとえこういった手当が無かったとしても指導には行ってくれますよ。彼等はシアトル市消防局の職員であることを誇りに思い救命講習の指導も、火災や救急現場と同じ重要な任務であり当たり前の仕事であることを判ってくれていますからね。もっとも、当たり前にすることが一番大変なことなのですが・・・」という言葉に感銘を受けました。
「当たり前にするまでが大変・・・」、今の日本はまさにこの段階なんだなと思いました。
シアトルのように、倒れている人がいたら声をかけるのが当たり前、たとえ何時であっても、市民にBLSを指導し、一人でも多くのバイスタンダーを育てることは当たり前・・・そんな風になれば、きっと日本の救命率も向上していくのだろうと感じました。
また、「アメリカの人は、仕事は仕事、オフはオフとクールに割り切るドライな国民」と考えていた自分が間違っていたということも判りました。非番や休日であっても、BLSの指導を行っているシアトルの消防士たちに心から敬意を表しますとともに、自分の思い込みに対し深く反省しました。(ごめんなさい)
このように、シアトルではこういった「組織基盤」や「社会基盤」が本当にしっかり整備されているなと本当に感心しました。バーバラさんのお話しにあったとおり「学校教育」に「救命講習」を導入していくことは、私も本当に重要なことだと思います。
「学力偏重主義」「受験重視」の機械製造的な教育制度が、今日の日本における「凶悪犯罪の低年齢化」や「いじめ」などの社会問題を招いたのではないか(悲しいことに、2014年になった今でも社会問題となっています。)と言われていますが、そんな味気ない現在の学校教育に「応急手当」を導入することにより、「命」の大切さや尊さ、そして「お互いを思いやる優しさ」や「助け合う心」など、今の日本人に一番必要で大切なことを学ぶことができるのではないかと感じました。
「鉄は熱いうちに打つ」ことが重要なのではないかと強く関jました。
そして、救命率を向上させるためには「AED」という「機械」だけに委ねるのではなく、「行政」や「救急隊」に任せっぱなしにするような「他力本願」や「お任せ主義」でもなく、まず一人ひとりの「心」や「意識」の改革が何より重要であり、私達ひとりひとりが、たとえ小さな一歩でもいいから前を向いて歩き続けていくということが大切な事なんだと強く感じました。
素晴らしいお話を聞かせてくれた「救命都市・シアトルの母」バーバラさんともお別れしなければいけない時間になりました。「いい話を聞かせて頂き,本当にありがとうございました。心が熱くなりました。」と握手しながらお礼を言うと、バーバラさんは「ミスターHIGE、ひとつだけ約束してくれますか?」と言われました。
私が「できることならば喜んで」と言うと、バーバラさんはこう言いました。
「あなたがシアトルで学んだことを一人でも多くの人に伝えて下さい。シアトルはゼロからのスタートだったので20年かかってしまいましたが、日本ならば、きっと10年でできると思います。一人でも多くの命を救い、当たり前に人が救われるような国になることを心から祈っています。」という暖かいお言葉を頂きました。
最後に固い握手をしてバーバラさんとお別れしましたが、このバーバラさんとの約束から、このHPの見聞録が生まれました。
こうしてシアトル市消防局の訪問初日は、驚きと感動のうちに終了しましたが、シアトル第2消防署の「MEDIC―2」のオフィスまでわざわざ私を迎えに来てくれたゴードンさんから「ビッグ・ニュース」がもたらされました。
「ミスターHIGE、明日は我が消防局のMEDIC―ONEに乗って下さい。」とのお言葉を頂き、もう私はビックリ仰天!当初の予定では「パラメディック・トレーニング」を見学する予定でしたが「MEDIC―ONE」の皆さんのご厚意により、私に同乗を許可してくれたのです!(喜)
シアトルに行くからは,できれば救急車に乗ってみたいという気持ちはあったののですが、言葉の問題や危険性も伴うこともあって許可は難しいという事前情報もあったので半ばあきらめていましたから同乗許可が出た時はとても嬉しかったです。
念願叶い、シアトル市消防局救急隊「MEDIC―ONE」に同乗して生のアメリカ救急現場で、まさに「事件は現場で起きている」を体験できることになり、嬉しさの次には急に緊張してきてしまいました・・・さて,いよいよ次回からは、シアトル救急隊「MEDIC―ONE」同乗レポートをお送りしますのでお楽しみに。(シアトル編④に続く)
さて、いよいよシアトル市消防局救急隊「MEDIC-ONE」のシニア・パラメディックであるゴードンさんから、なぜシアトル市が「世界一の救命都市」になったその理由について聞かせて頂くことになりました。
2003年当時のシアトル市消防局には、1003人の消防職員がいましたが、パラメディックである68人を除いた935人全てが、パラメディックに準ずる「EMT」(Emergency-Medical-Technitian:救急隊員資格)資格を有しているとのことでした。
「911」(日本では110番と119番に相当する)に通報が入ると、コンピューターが電話の発信地を直ちに検索、災害現場に最も近い「MEDIC-ONE」と消防隊を選定します。「ディスパッチ・センター(緊急通報指令センター)」のオペレーターは選定された「MEDIC-ONE」と消防車を同時に出動させます。
この「ディスパッチ・センター」のオペレーターは、誰でもなれるという訳ではありません。緊急通報の第一報を受ける「ファースト・コンタクト」をシアトルではとても重要視しています。医学的な知識はもちろん、判断力、洞察力、通報者とのコミニュケーションスキルなど、6ケ月間もの間、多岐にわたる分野の研修を受けたものでなければ、ディスパッチャーにはなれません。
6ケ月間の研修といえば、私達、救急救命士の研修と同じ期間であり、どれほどシアトルがディスパッチのスキルを重要視しているかお判りかと思います。
もし、消防隊が救急隊より先に現場に到着したとしても、シアトル市の消防隊には「AED」をはじめとする「ファースト・エイド・キット(初期救急処置器材)」が積載され、消防車に乗務する消防隊員の全てがEMT(救急隊員)資格を有していることから、もしも患者がCPA(心肺停止状態)またはCPA直前の危機的な状況下にあったとしても、救急隊の到着を待つことなく、AEDを使用した「早期除細動処置」を実施することができます。このシステムが「ファースト・レスポンダー・システム」と呼ばれるシステムです。
私が、このシステムを視察した2003年当時の日本では、AEDが一般に普及していないことから、こうした消防隊と救急隊の連携出動システムも普及していませんでしたが、AEDの普及とともに、消防隊と救急隊の連携システムが徐々に構築され、日本では「PA連携」(P:ポンプ車のPとA:アンビュランス救急車のAの同時連携出動)と呼ばれるシステムが整備されるようになり、今では多くの都市で「PA連携体制」が普及しています。
当時のシアトル市では、消防隊あるいは救急隊が救急出動してから現場に到着するまでの平均所要時間(レスポンス・タイム)は「4分」であるとのことであり、当時の日本における平均レスポンスタイムの「6分」を大きく上回っています。(2014年では7分にまで延びています。)
救急隊や消防隊が現場に到着する前の「一般市民」による、いわゆるバイスタンダーCPR(心肺蘇生法)実施率ですが、2003年当時のシアトル市では総人口約60万人の約半数にあたる30万人もの市民が「救命講習」の受講者であり、市民の受講率は実に50%以上、二人に一人の市民が応急手当を実施できるとのことであり、視察前に調べていた「市民の30%が有資格者」という数字をはるかに上回っていました。
この高い応急手当普及率を背景に、救急隊や消防隊が現場の到着するまでの「バイスタンダーCPR実施率」は「応急手当普及率」と同様に50%を超えており、その結果、シアトル市における「救命率」は年間平均で30%、40%を超える年もあるとのことで、視察前に私が知っていた以上の実状を聞き本当に驚きました。
応急手当の市民普及率50%という高い普及率を背景に、実施率50%を超えるバイスタンダーCPR、そして消防隊と救急隊を同時に出動させる「ファースト・レスポンダー・システム」によるレスポンス・タイムの短縮、さらには、「5分以内の早期除細動の実現」により、「救命の鎖(サバイバル・チェーン)」がシアトル市の救急システムとして恒常的に機能した結果、驚異的な救命率となっていることがわかりました。
現在の日本では,バイスタンダーCPRの実施率は非常に低く,ほとんどの現場では実施されていません・・・・
【以下は、2003年にこのレポートをUPした当時の感想です。】
日本では、救急隊員資格を有するのは、ほとんど専属で救急車に乗務する救急隊員のみであり、出動態勢も救急隊だけを出動させる単独出動のため、現場でのマンパワーも不足しレスポンス・タイムも要してしまいます。
さらに、日本の救急隊の場合、除細動は「救急救命士」のみしか実施できず,現在の法制度では消防隊にAEDを使用させ除細動処置を実施させることはできません・・・
現在「厚生労働省」において、一般市民のAED使用については検討されていますが,消防隊員や警察官など、いちはやく現場に到着できる人達へのAEDの使用についてもどうか検討して頂きたいと切に願っております。
※2003年当時から比べると、AEDが一般市民にも使えるようになり、日本全国には35万台のAEDが設置されるほどになりました。消防隊と救急隊が連携した日本の「ファーストレスポンダーシステム」と言える「PA連携」も全国に普及し、間違いなくシアトルに近づい
ています。しかし、2014年現在、2003年の当時よりもバイスタンダーCPRの実施率は向上したものの、まだまだシアトルには及びません。
さて、リテイク版レポートを続けましょう・・・・
シアトル市の救急システムについて語る時、「救命率が高い一番の要因は、やはりバイスタンダーCPRの実施率の高さであり、それが救命の鎖(サバイバル・チェーン)を機能させている。」とゴードンさんもおっしゃっていたことから、「なぜ,シアトル市では、このように多くの市民の方が救命講習を受けているのですか?シアトルでは、いったいどのような方法でこれだけ多くの市民にCPRを普及できたのですか?」と伺ったところ、またまた驚くべき事実が明らかになりました。
次回は、シアトルでは,なぜこれだけ多くの市民が救命講習を受けているのかという「もうひとつの秘密」について皆さんにお伝えしたいと思いますので、お楽しみに・・・
(シアトル編③に続く)
小雨が降る成田を発ち約8時間、私を乗せた飛行機はシアトルの「タコマ国際空港」に無事に到着しました。
シアトルは、当時イチロー選手が所属していたシアトル・マリナーズの本拠地として日本でもよく知られている都市で、アメリカ西海岸に位置する中堅都市です。空港に降り立つと,早速ありました!「AED」が。空港のロビーには計6台のAEDが日本の「消火器」のように設置されていました。
「さすがは世界一の救命都市だなあ」と感心しながら,シアトル空港の到着ロビーを出ると現地旅行会社の方が出迎えに来てくれました。
シアトルはマリナーズの他にも、あの有名な「スターバックス・コーヒー」発祥の地であるとともに、ボーイング社の工場もあり、世界の空を飛んでいるボーイング社の航空機のほとんどはこのシアトル工場で生産されていることなどを聞きながら、タクシーに乗りシアトル市内へと向かいました。
日本を発つ前にシアトル市について調べた(2003年当時)のですが、人口は約60万人の中堅都市であり、救急車は市内に11台,うちパラメディック(医療行為のできる救急隊員)が乗車する救急車は7台、パラメディックの数は68人と、日本の大都市消防本部に比べてみても、救急車の台数やパラメディックの数は少なく、この体制で、どうして30%を超える救命率を維持し続けることができるのだろうか?という疑問があったのですが、その私の疑問は「シアトル市消防局」到着後に、やがて驚きに変わることになりました。
シアトル市消防局で訪問のご挨拶を済ませた後、「ハーバービュー・メディカルセンター(以後HBMCとします。)へと向かいました。」このHBMCは、広大な敷地内にワシントン州立大学の医学部や大学病院さらに救急医療センター等の医療施設が集まったシアトル市救急業務の拠点ともいえる施設です。
また、ここには,シアトル市の救急業務を担う「MEDIC―ONE」(メディックワン)と呼ばれるシアトル市の救急隊を総括管理する部局があり、このHBMCにも2台の「MEDIC-ONE」(救急隊)が配置されています。
今回,ハーバービュー・メディカルセンターの「MEDIC-ONE」のオフィスで私を出迎えてくれたのは、昔懐かしい「ROCKY」シリーズでおなじみの映画俳優「シルベスター・スタローン」によく似ているハンサムなゴードンさんでした。
映画の「ROCKY」シリーズでおなじみのシルベスター・スタローンにそっくりな
ゴードンさんは、1980年(昭和55年)にシアトル市の消防局に消防士として入り、その後パラメディク・チーム「MEDIC―ONE」に志願、延べ800時間にも及ぶ医学教育と200時間の病院研修を経て、パラメディックとなったベテランのパラメディックです。
シアトルでは,経験の豊富な指導的役割(ようやく日本でも救急救命士を救急救命士が指導するという体制ができつつありますが・・・)を持つベテラン・パラメディックを「シニア・パラメディック」と呼びますが、ゴードンさんも,もちろん「シニア・パラメディック」です。これからお世話になるコードンさんは、とても気さくな方で、私を暖かく迎えてくれました。
ゴードンさんとガッチリと握手を交わした後,いよいよゴードンさんから,「なぜシアトル市が世界一の救命都市と呼ばれるようになったのか」というお話を聞くことになりますが、それは次回UPを乞うご期待下さい! (シアトル編②に続く)