♦2017年6月4日UP~「動画で学ぼう応急手当」(NEW)
応急手当に必要な「胸骨圧迫」の方法と「AED」の使用方法のほか、いざという時に役立つ119番に通報した際に受けられる指令センターからの応急手当サポートなどを9分間(全国の救急車平均到着時間)に詰め込んだ動画です。
これから救命講習会を受講する方の事前学習用、すでに受講した方の復習用にぜひ一度ご覧下さい!Youtubeからご覧に頂けますので「こんな動画があるよ」とPR及び拡散して頂き、一人でも多くの方々に通勤通学時、ちょっとお時間のある時ご覧になって「あ!そうだった!」と再確認して頂ければ幸いです。
2002年のバスケットボール大会で、自らがバイスタンダーとなった救命事例をきっかけに、2003年に「バスケットボールの家庭教師」(現ERUTLUC)代表の「よしかずさん」と出会い「バスケットボールの家庭教師」HPの1コーナーとして、一人でも多くの人に「心肺蘇生法」や当時の日本では、まだ一般の人々が使用できなかった「AED(自動体対式除細動器)」のことを知ってもらうことをテーマにスタートしました。
2003年の10月には、当時(今も)世界最高の救命率と救急救命システムを誇っていたアメリカ合衆国のシアトルへと渡り、なぜ今日のシアトルができあがったのかを見聞してきました。私がシアトルで学んだことは、消防機関とシアトル市、そしてシアトルの市民が一体となって命を救うというシステムでした。シアトルでは小学生の頃から「BLS(一次救命処置)」を学び、人口の6割近くの人々がBLSの知識を有しています。
そのため、「バイスタンダーCPR」の実施率は、なんと50%以上(当時の日本は5%以下)救命率は年間平均30%(当時の日本は7%以下)という世界最高峰の救命率を誇り、CPR(心肺蘇生法)という言葉はシアトルの一般家庭では日常的に使われ、小学生でも知っているという、まさに「救命都市」でした。
シアトルでは、多くのことを学びましたが、日本との決定的な違いは救急車が到着するまでの「病院前救護システム」にあることを痛感しました。
当時の日本におけるバイスタンダーCPRの実施率は5%未満という低さでしたが、この低さの原因は「CPRができない」ということではなく、「どうしたらよいのかを知らないからできない」ということが最大の原因だと感じました。
そんな思いから、一人でも多くの方々にシアトルのこと、BLSのこと、AEDのことを「まずは知ってもらおう!」ということを目的に「シアトル救急レポート」をHPに掲載しましたが、そんな時、私のHPをご覧下さった「命のバトン」のさくらさんとの出会いがあり、さくらさんとの交流が始まりました。
さくらさんとの出会いから、さらにたくさんの出会いと交流が生まれ、全国各地で同じ「想い」を持った多くの方々とのネットワークがつながりました。
そんな、たくさんの方々の出会いに支えられてここまで育てて頂いたHPですが、HPの開設から15年以上の月日が経ち、2004年の7月1日から、ようやく日本でも一般の方々がAEDを使えるようになり、今日では「AED」という言葉もしっかりと社会に根付き、たくさんの命が救われるようになりました。
HPの開設当時を思うと、本当に夢のようですが、多くの人たちの「想い」が結集したからこそ、今があるのだと思います。全国各地でBLS(一次救命処置)やAEDの普及に携わってきた多くの皆様に対しまして、心より敬意を表します。
「AED」という言葉も広く一般に普及し、今では「駅」や「体育館」など多くの人が集まる場所はもとより、学校関係にも当たり前のように配備されるようになりました。2003年にHPを開設した当時は「子どもに心肺蘇生法なんて、できっこない。ましてAEDなんて絶対に無理」という世の中でしたが、今では「子ども達こそが未来のBLSの担い手になる!」という考え方に変わり、日本のあちこちで、子ども達に対するBLS知識の普及や講習会が開催されるようになりました。
また、市民ボランティアの協力による救命講習会の開催や、市の教育機関や医師会とタイアップした救える命を救うための取り組みも各地で始まっており、BLS普及の輪は確実に広がっています。
「ひとつでも多くの命をつなげ、救いたい」という想いを持ったたくさんの方々が、各地で地道な草の根活動をして下さった結果だと思います。
このHPを開設した当時の目標は「一人でも多くの人達にBLSの重要性やAEDを知ってもらうこと。」という目標でしたが、このHPがほんの少しでもお役に立ち、その使命を果たせたとしたなら、こんなに嬉しいことはありません・・・・
・・・とはいえ、シアトルの背中は見えてきたものの、まだまだ追いついたわけではなく、ここがゴールではありません。AEDの設置台数こそ世界でも有数の国になりました。
しかし、AEDだけでは命を救うことはできません・・・
倒れた人の傍にいる人達の「救いたい」という心と、大きな声で応援を呼んだ時、すぐにたくさんの人たちが集まり、たくさんの勇気と思いやり、そして助け合いの心が集まって命を救うことが一番大切です。
どうしたら、シアトルに追いつけるか、どうしたらもっともっと救える命を救うことができるのか・・・・HPを一時休業していた期間中に考えたこと、学んだことを、これからもひとつひとつ、ゆっくりと焦らずに一歩、一歩進めていければと思います。
その考えのひとつが、救急救命士有資格者が消防機関を退職した後の人材活用法です。
今後10年間、私もそうですが、豊富な現場経験と救命の知識を持った多くの救急救命士たちが、定年を迎えて退職していくことになります。
彼らが退職するまでに培った多くの知識や経験を、どうやってBLSの普及や、スポーツ現場の安全などに役立て、社会に貢献できるだろうか?そんなことを「未来への提言」としてUPしてありますので、よかったらご覧下さい。
最後に、私の活動の原点となり、くじけそうな時、困難にぶつかった時、いつも私に「力」を与えてくれた「命のバトン~a message from saori~」、そして、生きたいと思いながら、その短い生涯を終えてしまった方々と、そのご家族の想いが詰まった動画を下記にご紹介したいと思います。
どうか、この尊い命の数々からリレーされた「命のバトン」を受け取って下さい。
そして、たとえゆっくりでもいいですから、一歩ずつ一緒に考え、歩んでいきましょう。
つながる命をつなげるために、救える命を救うために・・・(HIGE)
HIGEさん
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